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2009年11月16日

黒塚の伝説

その昔、岩手という女性が京都の公家屋敷に乳母として奉公していた。だが、彼女の可愛がる姫は生まれながらにして不治の病におかされており、5歳になっても口がきけないほどだった。

姫を溺愛する岩手は何とかして姫を救いたいと考え、妊婦の胎内の胎児の生き胆が病気に効くという易者の言葉を信じ、生まれたばかりの娘を置いて旅に出た。

奥州の安達ヶ原に辿りついた岩手は岩屋を宿とし、標的の妊婦を待った。長い年月が経ったある日、若い夫婦がその岩屋に宿を求めた。女の方は身重である。ちょうど女が産気づき、夫は薬を買いに出かけた。絶好の機会である。

岩手は出刃包丁を取り出して女に襲い掛かり、女の腹を裂いて胎児から肝を抜き取った。だが女が身に着けているお守りを目にし、岩手は驚いた。それは自分が京を発つ際、娘に残したものだった。今しがた自分が殺した女は、他ならぬ我が子だったのである。

あまりの出来事に岩手は精神に異常を来たし、以来、旅人を襲っては生き血と肝をすすり、人肉を喰らう鬼婆と成り果てた。

それから数年後。紀州の僧・東光坊祐慶が安達ヶ原を旅している途中に日が暮れ、岩屋に宿を求めた。岩屋にいた鬼婆は薪を拾いに行くと言い、奥の間を覗かぬよう祐慶に忠告して岩屋を出た。祐慶が好奇心から奥の間を覗くと、そこには人間の頭蓋骨、手足、内臓などが散乱していた。鬼婆の正体に感づいた祐慶は岩屋を逃げ出した。

岩屋に戻った鬼婆は祐慶の逃走に気づき、猛烈な速さで追いかけた。祐慶のすぐ後ろまでせまる鬼婆。絶体絶命の中、祐慶は旅の荷物の中から如意輪観世音菩薩を取り出して必死に経を唱えた。すると雷鳴が轟き、鬼婆は雷に打たれて絶命した。祐慶が鬼婆の死に様を見たところ、安らぎを取り戻したかのようにその顔から狂気が消えており、穏やかな死に顔になっていた。祐慶は鬼婆を阿武隈川のほとりに葬り、その地は「黒塚」と呼ばれるようになった。

安達ヶ原と同様の鬼婆の伝承は埼玉県大宮市(現・さいたま市)にも「黒塚の鬼婆」として伝わっており、寛保時代の雑書『諸国里人談』によればこちらが本家とされる。しかし実際には、類似の鬼婆の伝承は日本各地に伝わっている。

また、鬼婆の顛末については、以下のような別説もある。
黒塚の近くには祐慶が観音を祀るために寺を建てたといわれ、これが現在でも二本松市にある真弓山観世寺とされる。同寺の敷地内には鬼婆像の他、鬼婆の墓や、鬼婆の住んでいた岩屋、血で染まった包丁を洗ったという池が残されており、観光客も多い。伝説は時を経てなお人々の心に恐怖と哀しみを与え続けているといわれ、俳人・正岡子規もこの寺を訪れ「涼しさや聞けばむかしは鬼の塚」と詠んでいる。また観世寺にある如意輪観世音菩薩の胎内には、祐慶が鬼婆退治に用いたとされる如意輪観世音菩薩が埋め込まれており、60年ごとに開帳される。

二本松市内の観光施設「安達ヶ原ふるさと村」では、この鬼婆伝説を再現した「黒塚劇場」が開催される他、本来の伝説のおどろおどろしさを払拭すべく、鬼婆の姿を二頭身にディフォルメした「バッピーちゃん」をイメージキャラクターとする他、様々な工夫がなされている。

宮城県の東光院という寺には、この鬼婆のものとされる頭蓋骨が伝えられていたが、現在は廃寺となっており、祐慶の子孫といわれる家に保管されている。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

鬼婆の墓、及びその鬼婆の伝説と呼ばれています。

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